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第4期45LV (II)1980年7月60系のデビューに合わせ、エンジン、T/M、T/F、ブレーキなど主要部品が60系と共通化される。
ロングホイールベースのディーゼルエンジンをH型から6気筒、4000ccの2H型と4気筒、3400ccの3B型に変更、60系と共通化され、それぞれHJ47、BJ45となった。
B、2B型も合わせて改良された。
HJ47は主にオーストラリア(略号 ARL)向け、BJ45はそれ以外の地域向(欧州 EUR、ジェネラルカントリー GEN)けとされた。
マニュアル・フリーハブが日本国内向けにも装備され、それを車幅内に収めるため、樹脂製スペーサーによりフロントフェンダーの取り付け幅が広げられる。
1981年5月限定車の第2段として「ザ・マイティー」が登場(国内)、通称は「マイティーBJ」、「マイティー ブラック」。
ブラックのボディーにゴールドの子持ちラインを持ったえんじのストライプと、えんじとグレーの室内トリムの組み合わせであった。
1981年8月インパネのデザインを変更。
センタークラスタータイプとなるが、シンプルでクリーンな印象は無くなり、評判は芳しくなかった。
また、日本国内でもラジアルタイヤが選べるようになり、その対策としてリヤフェンダーにエクステンションが追加される。
パワーステアリングとタコメーター、専用の室内トリムを持った「LX」が追加される。
1982年2月最後の限定車となる「ザ・マイティー II」が登場(国内)。
「マイティー BJ」と同様のカラー、トリムであったが、パワーステアリングとタコメーターを装備し、「LX」同様の装備となる。
1982年日本国内は排ガス対策で2B型から3400ccの3B型にエンジンが変更された。
1984年10月70系へモデルチェンジ。
国内での生産を終了。
ロングホイールベースのディーゼルエンジンをH型から6気筒、4000ccの2H型と4気筒、3400ccの3B型に変更、60系と共通化され、それぞれHJ47、BJ45となった。
B、2B型も合わせて改良された。
HJ47は主にオーストラリア(略号 ARL)向け、BJ45はそれ以外の地域向(欧州 EUR、ジェネラルカントリー GEN)けとされた。
マニュアル・フリーハブが日本国内向けにも装備され、それを車幅内に収めるため、樹脂製スペーサーによりフロントフェンダーの取り付け幅が広げられる。
1981年5月限定車の第2段として「ザ・マイティー」が登場(国内)、通称は「マイティーBJ」、「マイティー ブラック」。
ブラックのボディーにゴールドの子持ちラインを持ったえんじのストライプと、えんじとグレーの室内トリムの組み合わせであった。
1981年8月インパネのデザインを変更。
センタークラスタータイプとなるが、シンプルでクリーンな印象は無くなり、評判は芳しくなかった。
また、日本国内でもラジアルタイヤが選べるようになり、その対策としてリヤフェンダーにエクステンションが追加される。
パワーステアリングとタコメーター、専用の室内トリムを持った「LX」が追加される。
1982年2月最後の限定車となる「ザ・マイティー II」が登場(国内)。
「マイティー BJ」と同様のカラー、トリムであったが、パワーステアリングとタコメーターを装備し、「LX」同様の装備となる。
1982年日本国内は排ガス対策で2B型から3400ccの3B型にエンジンが変更された。
1984年10月70系へモデルチェンジ。
国内での生産を終了。
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