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ランドクルーザー70系         日本で唯一の本格オフローダー


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ランドクルーザー70系
「1984年~現在」

ランクルの名前を世界中の四駆界で不動のものにした40。
その後継者として現れたのが70系です。


様々なバリエーションを生みながら、
今もなお生産し続けていることは、
40の偉業を引き継ぐにふさわしい性能の証でしょう。


70系は特にクロカンに適した4WDとして
高い評価を得ており、
ランドクルーザーの本流をゆくモデルとして、
1999年にコイルスプリングを採用するなど
現在も進化を続けています。


しかし、排ガス規制やディーゼル規制で
泣く泣く手放す人が続出しているのも現状です。


私は岡山でまだ規制の波が
きてはいないですが

これからどうなることやら・・。


なので今の一瞬一瞬を
とことんランクル70を愛してやることに決めています。


ランクル70に関する
いろんなノウハウや技


改造や補修など
どんどんアップしていきますんで


ランクル70をもっともっと
好きになっていって欲しいと思います。


みんなぁ!
ランクル70を大切にしようぜぇ!!


(=^_^=) ヘヘヘ
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ランドクルーザー (Land Cruiser) とは、
トヨタ自動車が製造する四輪駆動の自動車。


 BJ、FJ型(1951年-1955年)

 20系(1955年-1960年)

 40系(1960年-1984年)

55、56型(1967年4月-1980年7月)

 60系(1980年 - 1989年)

 70系(1984年 -)
1 ヘビー系
2 ライト系

80系(1989年-1998年)

100系(1998年- )

次期モデル(2007年発売予定)
200系ステーションワゴン(100系後継車種)

日本のクロスカントリー型四輪駆動車の先駆けとなる車両である。


その耐久性は世界中で高い評価を受けており、
「紛争あるところにランクルあり」と言われるほど、
NHKをはじめ各テレビ局の取材カーとしてもしばしば利用される。

なお、同タイプの日本メーカー製車両としては
三菱ジープや日産パトロール(現・サファリ)がある。

「ランドクルーザー」という車名は、
1954年6月より使用されており、
2006年9月現在一つの車名で生産継続されている
日本製の自動車としてはもっとも長い歴史をもつ。
(クラウン、トヨエースよりも古い。

)通称は「ランクル」。
ステーションワゴン、
業務用途の「ヘビー系(ヘビーデューティー)」、
そして、70系の派生車種であった、
「ライト系(ライトデューティー)」と呼ばれる
ランドクルーザーIIから発展した、
ランドクルーザープラドの三種類の異なるシリーズが
並行して生産、販売されている。


現在、ステーションワゴンは、
日本製SUVで初めてV型8気筒エンジンを搭載した100系であり、
直6ディーゼルエンジンや電動ウィンチなどが選べる
ランドクルーザー100(欧州名 アマゾン Amazon)と、

元来レクサスLX470として開発された、
スタイリッシュで高級志向の強いランドクルーザーシグナスとがある。


ランドクルーザーはヘビー系が本流とされ、
ヘビー系現行モデル70系では長大な車体を持つ
78と79のみ生産が続けられている。


世界各国に輸出されているが、
日本国内では貨物登録(1ナンバー)であり
NOx規制法およびPM規制条例により2004年7月に日本での販売を終了した。


ランドクルーザープラドは、タコマ、ハイラックスサーフと
シャーシやエンジン、ドライブトレインの多くを共有するモデルで、
2ドアのショートと4ドアのロングのバリエーションを持ち、
V6ガソリンエンジンと、直4のガソリン、ディーゼルエンジンを積む。
ランクルの伝統で、
装備を充実させたワゴンと、
業務用途のバンをラインナップしている。


欧州やアフリカでの名称は「プラド」はつけられずランドクルーザーのままである。

ランドクルーザーシグナスは海外のレクサスブランドで
LX470として販売されていたものを日本国内販売したものである。


ランドクルーザープラドも北米ではレクサスブランドからGX470として販売されている。

シグナスおよびプラドはV型8気筒・4700ccの2UZ-FEを搭載している。


 BJ、FJ型(1951年-1955年)戦時中に少数が生産された、
日本陸軍四式小型貨物車こと「AK10型」四輪駆動車は、
フィリピンで鹵獲された通称「バンタム・ジープ」をコピーして設計された。


その際、軍部から、「外観はジープに似せない事。」
とする旨の指示があったが、


機能がそのまま外観に表れるジープでは、
それは容易なことではなかったが、
生産型は資材の窮乏も伴い、簡易外装に一つ目ライトの、
いわゆる「戦時型」となり、結果的にまったく別物の外観となった。
「AK10型」はフロントにリーディング・アームのサスペンションを持ち、
AE型乗用車のC型エンジン(初代 4気筒 2.585cc)と3速T/M、
2速T/Fを組み合わせていることからも判るとおり、BJ型以降のランクルと直接のつながりは無い。


警察予備隊(現・自衛隊)への納入を狙い、
1951年にトヨタ・ジープBJ型として完成した。


シャーシは小型トラックSB型の梯子形シャーシを改良して
四輪駆動とし、エンジンは当時の6tトラック用に用いられていた
6気筒OHV、3,400ccのB型(初代)ガソリンエンジンを採用し、
トランスミッションもトラック用を流用した。


「B型」エンジンを搭載した「Jeep」ということで型式は「BJ型」となった。



当時のトヨタには、ウイリス・ジープに匹敵する性能の4気筒エンジン
がなかったため、やむを得ず大きな6気筒を搭載したが、
かえって強力になり、重量、燃費以外の性能では当時のウイリス・ジープを凌ぐ結果となった。



三菱がノックダウン生産するウイリス・ジープが警察予備隊に
採用されたため(米軍との密約があり、出来レースであったとの噂もある)
目的は果たせなかったが、国家地方警察のパトロールカーとして納入され、好評を得た。


基本型の「BJT型」(ツーリング)、無線連絡車の「BJR型」(ラヂオ)、
消防用シャーシの「BJJ型」(略号Jの意味は不明)の3タイプがカタログモデルとされ、
その他の「変り型」は特装扱いとした。


1954年、高負荷運転となる消防ポンプ車用に、
より強力なF型エンジンが加わった。



これはB型同様大型トラック用のエンジンで、
以後ランクルとは切っても切れない関係となるが、
この時期はまだ、消防用シャーシ「FJJ型」専用であった。


同年6月ジープという名称が米国ウイリス・オーバーランド社(当時)の
商標権に触れるため、ランドクルーザーと改名された。


英国ローバー社の有名な四輪駆動車ランドローバーに対抗し、
ROVER(海賊、海賊船)を駆逐するという意気込みを込め、
「巡洋艦」を用いての命名であった。
20系(1955年-1960年)1955年8月、
ランドクルーザーは初めてのモデルチェンジを受け、20系となった。


ホイールベースはショート(#J25、21等)と、
やや長いミドルの(#J28、24等)の二種類でスタート、
後にロング(FJ35V)が追加される。


ショート
2,285mmミドル
2,430mmロング
2,650mmエンジンは従来のB型(初代)とF型ガソリンエンジンで、
ほとんどの車種に両方のエンジンが設定された。


B型(初代) 水冷 直列6気筒 OHV ガソリンエンジン 3,386ccF型
水冷 直列6気筒 OHV ガソリンエンジン 3,870cc 120~135HP/3,200rpm 28,0~30.0kgm/2,000rpmトランスミッションは4速マニュアル、
トランスファーはセンタースルーの2速で、どちらもフロアシフトとされた。


ボディーのバリエーションは、ソフトトップ、ハードトップと、
ピックアップ、バン、消防用シャーシとされ、後にロングの4ドア
ステーションワゴンが加わった。


これら以外の変り型については特装とされた。

ソフトトップ        ショート、ミドルハードトップ        ショート、ミドルピックアップ        ミドルバン            ミドル消防用シャーシ     ミドルステーションワゴン   ロング国家警察用のパトロールカーをはじめ、ラインナップの約半数が2輪駆動であることも20系の特徴であった。
この20系より各国に見本車を送り、本格的に輸出を開始した。



特に北米では、市場に適合せず、評判の優れなかったクラウンに代わり、
米国トヨタの経営を支えた。


モデル末期の1959年、輸出の好調を受け、
ランクル初の本格ステーションワゴンが追加されることになった。


ホイールベースはさらに延長され2,650mmとなり、
4ドアボディを与えられ、エンジンは「F型」とされた。


形式は、20番台はすでに全て使い切られていたため、
30番台でロングホールベースを表すFJ35Vとされた。


40系へのモデルチェンジまで一年を切ったこの時期に投入されたFJ35Vは、
実質的には40系のFJ45V(初代)の前倒し生産といえるもので、
海外の旺盛な需要の前に、逼迫した当時の状況が現れている。
40系(1960年-1984年)BJ40LV-KC西ドイツ以外の欧州向け1960年1月発売開始。

20系のフルモデルチェンジ版として登場した。

すでに'20系が30番台の数字を使っていたため、型式は40とされた。


40系は1984年11月に70系にフルモデルチェンジされるまで、
24年にわたり販売され続け、超ロングセラーモデルとなった。


そのため、世界各国で業務用として今なお現役のものも多く、
また、趣味の世界でも、「ヨンマル」、「フォーティー」などの愛称で親しまれ、
多くの愛好家に大切にされている。


当初のコンセプトは、20系に対する北米市場の要求から、
T/Mを4速からワイドレシオの3速にシフトレバーをフロアからコラムへ
(北米以外は従来の4速フロアと3速フロアも選べた)
T/Fを1速から2速へ(リアもセンタースルーからオフセットへ変更された)
T/Fレバーをフロアからインパネへファイナル(アクスルデフ)のギアリングを高く
(5.555から3.300または3.700へ)エンジン特性を高回転寄りに
サスペンションスプリングをソフトライドにソフトトップの着脱を容易に
ラジエターグリルをフォード・トラック風のオーバル形になど、
主に高速走行を重視した快適性の向上と乗用車の雰囲気を盛り込むことが設計の主眼とされた。


ホイールベースホイールベースはショートの40と、
やや長いミドルの43、ロングの初代45でスタート、
後にフレームを300mm延長した、45(B)が追加され、
その後、延長形に一本化され、45(2代目)に変更された。


ショート     2285mm 
ミドル      2430mm 
ロング初代   2650mm 
ロング(B)   2950mm 
ロング2代目  2950mn 
ロング(B)を名称変更 
ボディーバリエーションソフトトップ
ショート、ミドル、ロング(2代目)ハードトップ      
ショート、ミドル、ロング(2代目)ピックアップ      
ロング(初代)、ロング(B)、ロング(2代目)ステーションワゴン  
ロング(初代)消防用シャーシ    
ロング(初代)キャブシャーシ     
ロング(初代)、ロング(B)、ロング(2代目)[編集] 第1期1960年1月生産開始。


輸出が優先された結果、国内のハードトップモデル(バン FJ40V)は遅れて登場する。
遅れて45(B)シリーズ登場。


荷台の狭さが指摘されていたピックアップとキャブシャーシ用に、
ホイールベースを2950mmとした、45(B)と呼ばれるスーパーロングが追加される。


ピックアップの型式はFJ45PからFJ45P(B)に切り替わる。
第2期1967年7月55型の生産開始に伴い、4ドアステーションワゴンのFJ45Vは生産終了。


同時にロングのホイールベースを2950mmへ統一、45(B)は再び、単に45と呼ばれることになる。

同じ型式で長さと形態が異なるモデルが混在するため、趣味上の分類としては、1967年以前の45を初代、それ以降を2代目としている。

45(初代)  W/B 2650mm45(B)    W/B 2950mm45(2代目) W/B 2950mmショートのハードトップとバックドアを設計変更。

屋根を鋼板プレスからFRPのモールド品に変更。

クォーター ウインドウ、バックドア ウインドウを拡大、リア コーナー ウインドウを新設、後方視界の改善を図った。

1973年、海外向けのロングホイールベースモデル(2950mm 2代目45シリーズ)に、直6 3.6L 3576c OHV 90HPの、H型ディーゼルエンジン搭載のHJ45を追加。

1974年、B型(2代目)ディーゼルエンジンが投入され、長い40の歴史上でのターニングポイントとなる。

ショートとミドルモデルにダイナ(BU10)用として好評を博していた、4気筒、3000ccのB型(2代目)と呼ばれるディーゼルエンジンが搭載された。


ディーゼル、4気筒共にランドクルーザーとしては初めてとなる。

BJ40とBJ43と呼ばれるこのモデルは、ファイナル ギア レシオをFJ40の3.700から4.111にたった1割下げた以外(実際、ピ二オンギアの歯数が一山少ないだけ)はT/Mも含めFJ40と同じであったが、ディーゼルエンジンの特性から、その走行性能はF型との馬力差(125PSと85PS)を感じさせない、遜色の無いものであり、4気筒のためエンジンの搭載位置が後退したことで、車両の重量バランスやハンドリングが改善される効果も生んだ。


日本では小型登録(4ナンバー)できることもあって好評をもって迎えられたが、その優れた経済性と卓越した性能は、もとより備わっていた高い耐久性と相まって世界的なヒットとなり、販売台数は飛躍的に増えることとなった。


HJ45にディーゼルエンジンが追加されたこともあり、全てのボディータイプでディーゼルエンジンが選べるようになる。


もともとはオイルショックが招いた流れではあったが、これ以降、ディーゼルエンジンはランクルの主流となっていった。


1975年1月ワイパーのピボットをウインドシールド フレームの上部から下部に変更、ワイパー モーター カバーが車外に露出した。

ハードトップのドアを組み立て式サッシからフルプレスに変更。

それまで固定式であったリア クォーター ウインドウを引き違い式と後端フリップアウト式の2種類へ変更。

換気性能が大幅に向上し、後席の快適性が改善された。


1976年8月アウター リア ビュー ミラー(バックミラー)の位置がカウルサイドからドアに変更となり、国内ボンネット型車では初のドアミラーとなり、乗用車(1980年)より一足早い登場となった。


その後、乗用車からの乗り換えユーザーが急増し、車両感覚がつかみづらいとの声が多かったことと、幌モデルでドアを取り外した場合、ミラーも一緒に無くなってしまうことから、1980年7月、国内モデルのみフェンダーミラーへ変更された。

ここまでをビンテージモデルとすることが多い。

[編集] 第3期1979年2月ボディーを大幅に設計変更。

大型プレス材を多用し、パネル枚数の削減と組み立て行程の短縮を図った。

また、鋼板のゲージも下げられた(薄くなった)。

20系以来、室内に置かれていた燃料タンクを室外(床下)配置に変更し、懸案だった安全性と容量不足が改善された(65Lから95Lに拡大)。


ラジエターグリルがオーバルから短形になり、ヘッドランプの間隔も広げられた。

日本国内のみ排ガス対策のため、ディーゼルエンジンをB型から3200ccの2B型に変更、形式もBJ41とBJ44となる。


数字のうえではパワーアップであったが、進角特性の変更でマイルドな味付けとなり、燃費も若干悪化することになる。


フロント ベンチレーテッドディスクブレーキとリアLSDがオプション設定される。

室内のトリムカラーが黒からグレーに変更される。

ファブリック内装に対する市場の反応を見るため、初めての限定車が発表される(国内)。
ボディーカラーはダークブルー、シートトリムはダークブルーとグレーの細いストライプであった。


同年12月バンパーなどのメッキ装飾や、トラック丸出しのリング式ながら白く塗られたホイールで差別化された外観と、室内には紅白のコントラストが鮮やかなファブリックシートを持った、「L パッケージ」が登場。
ランクル史上初めてグレード設定となる。
これ以降、乗用車からの乗り換えユーザーが一段と増えることになる。
第4期45LV (II)1980年7月60系のデビューに合わせ、エンジン、T/M、T/F、ブレーキなど主要部品が60系と共通化される。

ロングホイールベースのディーゼルエンジンをH型から6気筒、4000ccの2H型と4気筒、3400ccの3B型に変更、60系と共通化され、それぞれHJ47、BJ45となった。

B、2B型も合わせて改良された。

HJ47は主にオーストラリア(略号 ARL)向け、BJ45はそれ以外の地域向(欧州 EUR、ジェネラルカントリー GEN)けとされた。


マニュアル・フリーハブが日本国内向けにも装備され、それを車幅内に収めるため、樹脂製スペーサーによりフロントフェンダーの取り付け幅が広げられる。

1981年5月限定車の第2段として「ザ・マイティー」が登場(国内)、通称は「マイティーBJ」、「マイティー ブラック」。


ブラックのボディーにゴールドの子持ちラインを持ったえんじのストライプと、えんじとグレーの室内トリムの組み合わせであった。


1981年8月インパネのデザインを変更。

センタークラスタータイプとなるが、シンプルでクリーンな印象は無くなり、評判は芳しくなかった。

また、日本国内でもラジアルタイヤが選べるようになり、その対策としてリヤフェンダーにエクステンションが追加される。

パワーステアリングとタコメーター、専用の室内トリムを持った「LX」が追加される。


1982年2月最後の限定車となる「ザ・マイティー II」が登場(国内)。

「マイティー BJ」と同様のカラー、トリムであったが、パワーステアリングとタコメーターを装備し、「LX」同様の装備となる。

1982年日本国内は排ガス対策で2B型から3400ccの3B型にエンジンが変更された。

1984年10月70系へモデルチェンジ。

国内での生産を終了。
55、56型(1967年4月-1980年7月)FJ56V-KC日本国内モデル乗用車
ムードあふれるユニークなボディースタイル、4輪駆動車という特異な車であるにもかかわらず、
乗用車を上回る安全性。


高出力エンジンと理想的な車両重量配分と抜群の高速性能、と当時の解説書にはある。

北米市場を強く意識したモデルで、ランドクルーザーシリーズとしては初めて、工業デザイナー(社内)によるスタイリングを採用している。

北米でムース(へら鹿)とあだ名されることとなったフロントまわりや、大きくへこんだスライド式(電動、または手動の下降式)のリアウインドウなど、それまでの常識にとらわれない独特のスタイルとなった。

しかし現場経験の無い若手が担当したことから、パネル割りに不慣れな部分が多く、生産開始後も、ライン上でハンマーによる修正が必要となり、品質が安定するまでには多くの月日を要する結果となった。

北米の保安安基準に適合させるため、インストゥルメントパネルは発泡ウレタンのパッドで覆われ、ステアリングホイール中央にも大型パッドが設けられた。

パワートレインは40系と全く同じで、125馬力のF型ガソリンエンジンと、オフセット式の2速トランスファーに、コラムシフトの3速マニュアルトランスミッションが標準の組み合わせで、オプションでフロアシフトの3速と4速M/Tが選べた。


ファイナルレシオ(デフの減速比)は3.700が標準とされた。

3速M/Tはリバースがノンシンクロであった。
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